映画『プライベート・ウォー』を観て 2019.9.29

寝てもうた…💤😪

評価は🤔🤔🤔…って感じ…

映画自体の評価ではなくて以下思ったことを書いてみたい。

 

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真実が揺らぐ今、紛争地へ赴き、その悲惨さを伝える重要性は高まっている。そうした声は最近日本でも聞くようになった。おそらく近年のフェイクニュースに対する懸念と安田純平さんなどの邦人ジャーナリストに向けられた自己責任が社会で話題になったことによるものだろう。

確かに紛争地取材は「今、世界で何が起きているのか」を判断する材料を提供する意味でも必要だと思う。それでも今日の報道はマンネリ化されステレオタイプ化され現実そのものを陳腐化させてはいないだろうか。「反戦」や「平和」が抽象的なお題目にとどまってしまうことを憂う。

こうした現状を打開する方法は何か。生の実相、具体的な細部をこれまで以上にもっと伝えるべきだと思う。戦争以前の生活を過去に遡って知ることも必要だ。文学や歴史の役割はその点でより求められる。紛争が人々から何を奪い、破壊したのかを真に知るために。他者に対する共感を喚起するために。そして世界が解決への一歩を踏み出すために。

 


審美眼を磨くためには良い映画ばかり観ていてもいけないということか。